ほしい・あげたい・ありがとう
何が大切かなんて、とっくに知ってる。
或る事実を踏み越えるに当たって、許される事と許されぬ事。
遠慮すべき処とそうでない処。
僕はそれらを永い永い歳月を巡る中できちんと習得してきたつもり。
円滑な人間関係を築く為に絶対必須条件である、幾つかの暗黙の了解。
けれど、出会ってしまった。
そのどれもを無視してでも近付きたい存在。
それは、君。
「猊下のばかーーーっ!!」
「うるさいウザいっていうかキモい」
「何でそんな酷い事が言えるんですか!え!?仮にもオレはあなたの恋人なんでしょう!?」
「知らなーい」
「なっ・・・・・・!」
目の前でその巨体をブルブルと震わせて怒りやら哀しみだとか一切の負の感情を露わに
しているのは、あくまで僕の恋人だと主張する女装中毒のお庭番。
何が楽しくてこんなマニアックな人物と、それもすこぶるガタいのよろしい男とこのような
関係にまで発展したかなんて今となっては思い出せないフリをする日々。
―けれど本当は、きっちりバッチリ覚えている。
『好きだよ』
本来だったら身分違いの恋愛なんてすべきじゃないって分かっていたのだけれど、駄目
だった。
大体こういうパターンにおいて、周りからの好奇の目や、「売名行為だ」とか何とか妬みの
言葉をぶつけられて苦労するのは下方の者であるという事は百も承知をした上での僕の
愚行。
だって、抑えていた気持ちが既に、この体を破って醜く飛び出してしまうのではないかと
思う位にまで膨れ上がっていたから。
返される答えがどんなものであってもいい。
ただ自分の気持ちを知って欲しくて、そんな自分勝手な考えの下、僕はヨザックに特攻
したのだった。
・・・で、まぁ幸いな事にというか何と言うか。
その時から僕と彼は世間一般で言う「恋人同士」になったワケなんだけれども。
「っていうか君が怒るところじゃないでしょ、此処は」
「はぁ?だってそれは猊下が・・・っ」
「・・・僕にだけ聞いておいて自分のは『内緒でぇす』なんていい度胸じゃないかっ!」
今、僕らが何故こんなにも険悪な空気の中に身を置いているのかと聞かれたら、その
全責任は目の前で主に牙を剥く何とも不躾な獣にあるのだ、と僕は声を大にして言いたい。
全く何が腹立たしいって。
ヨザックが、誕生日を教えてくれないのだ。
「オレの誕生日なんてどうだっていいんですよっ!それより、猊下!猊下のお生まれに
なった日を知りたいんですよオレはっ!」
「だーかーらー!これは名前と同じだよ、ヨザック。知りたかったら自分が先に言う。
これって常識だろ」
「オレには常識なんてモノありませんから?そんなん言われたって知りませーん」
・・・何、この態度。
ふんっ、と鼻を鳴らしてそっぽを向く拗ね方が何だかちょっと可愛らしいとか付き合い始めた
頃は思ったりもしたけれど。
そんなのはもう過ぎ去った過去の事。
いつまで経っても折れないヨザックに、腹の奥底でグツグツと煮立っていた怒りがそろそろ
沸騰して吹き零れそう。
「・・・君、そんなに僕を怒らせたいワケ?」
「いいえ?それにしても猊下って、ホント頑固ですよねぇグリ江困っちゃう〜」
体をくねらせながら得意のおネエ言葉で、さらりと失礼な事を言ってのけるそのず太い
神経は賞賛に値するよ、ヨザック。
でも、今の僕にはそんな嫌味を冷静に返せる程のゆとりが心になくて。
こんなやり方は自分らしくない、相手の思うツボだ、と分かってはいても勝手に体が動いて
しまったのだ。
「・・・こんの減らず口のオカマやろーーっ!!!!」
いつも「細い」だとか「小さい」だとか何かと馬鹿にされがちなこの体で(彼は馬鹿に
しているつもりはないらしいが)、羨ましいまでに厚く、見るからに頑強そうな胸板目掛けて
タックルをかます。
それを受けて立つ当人は一瞬驚いたような顔をしてみせたけれど、すぐさま受け身の
態勢をとり、愉快そうにニヤッと笑った。
「やっぱり、思うツボだ」と我に返った時には既に遅く、彼を突き飛ばす予定だった「細くて
小さい」体は、これまた憎たらしい程に完璧な形をした二本の腕によって、胸の中に
がっちりホールドされる。
「こっ、こらっ!離せってば!」
「イ・ヤ・で・すー」
「・・・・・・ヨ〜ザ〜ッ〜ク〜。いい加減にしないと・・・」
これでもかという程の罵詈雑言、僕の知り得るあらゆる悪罵を彼にぶつけようと大きく息を
吸い込んで肺が十分な酸素で満たされた時、ぎゅうと抱き締められて思いもよらなかった
台詞を耳元で零された。
「すいません」
冗談とも思えない真摯な響きを含んだその言葉に、用意しておいた数多の痛罵の言葉は
音も無く消え失せ、また同時に、それらを外界に押し出すための必須材料だった元素
記号「O」の物質は情けなくもあんぐりと開かれた僕の口から細く吐き出される。
その姿を異なる物質に変えて。
「は、ぁ?」
「・・・すいません、猊下。あなたを怒らせるつもりなんて、なかったんです」
ごめんなさい、と更に抑えた声で言ったヨザックの手が、心底申し訳なさそうに僕の髪を
一束掬っては離す。
先程までとは打って変わってしょぼくれた子犬のようなその態度に、何だかこちらが申し訳
なくなってしまう。
更にぎゅう、と抱き締められて体のあちこちから骨の軋む音が聞こえる。
苦しいけれど、これがいつもの彼なりの気持ちの伝え方なのだと察して、大人しく彼の
抱擁を享受した。
「・・・じゃあ、一体何だっていうの?」
「その・・・内緒ってわけじゃあないんですよ。教えたくないってわけでも、ないんです」
「だから、何」
「・・・・・・お恥ずかしい事に、その、はっきり覚えてないんですよ」
ゆっくりと僕を解放する二本の腕と逞しく温かな体は普段通り存在するというのに、
零される声や、やや俯き加減の顔にはいつもの厚かましいまでの陽気さが微塵も
感じられず、少々不安になる。
細かく揺れるその瞳は、今にも雨が降り出しそうな、曇り空の色。
「覚えてないって・・・自分の誕生日をかい?」
「えぇ・・・。まぁ、今はこんなですけど小さい頃はそれなりに色々ありまして。なんつーか、
余裕がなかったんですかねぇ。いちいちそんな事祝ってる暇なんて、なかったのかも
しれないです」
・・・はは、オレって本当に馬鹿でしょう?驚かれるのも無理ないですね。
途中まで、遠くを見るような目でぽつぽつと語っていたヨザックは、どうした事か、急に
普段の笑顔を取り戻して僕に視線を合わせながら心底情けなさそうに言った。
そんな、笑い飛ばさなくたっていいよ。
僕と一緒の時まで気を遣う必要なんて何処にもないよ。
胸にこみ上げてくるのは、未だ全てを開いてくれない彼に対する不満と淋しさの声。
彼を止める、声。次に取るべき自分の行動。
「何でまたそうやって嘘つくの。最初っから素直に「知らない」って言えば、こっちだって
無駄に怒る必要だってなかったのにさ」
「・・・・だって、猊下に幻滅されたらいやだなぁ〜と思いまして」
「僕はそんな事言う今の君に幻滅してるよ」
ぎょっ、と目を剥いて体を強張らせる目の前の男に対して抱くのは、愛しさと失望と、
欲求と悲哀。
彼の中で築かれている自分のポジションが一体どんなものなのか、今の言葉から何となく
妙な想像をしてしまう。
それは心から望んでいるような甘いものではなく、もっともっと現実的で遠い、手を離した
側から冷え切っていくような・・・否、最初から触れてすらいないのでは、と思わせるような
鋭い切り口をつくる刃物みたいに尖ったもの。
そんな物騒なものを含んだ危うい関係に、ふっと気を抜いたら止血困難な傷を生みかね
ない脆い関係に、僕はこの身を投じているのだ、そんな風にしか考えられなくなって。
それが無性に、淋しくて。
「やっぱ・・・駄目ですね、オレ」
自嘲気味に落とされた乾いた笑いに、胸に空いた穴が更に広がられる。
「何したって、あなたには届かないんですね。きっと・・・それこそこの生が始まったところ
からして、違いすぎる」
「・・・ヨザ」
「分かってた筈なのに、何でか・・・こう、じっとしてられないんですよ。あなたへと手を
伸ばしてみたくなる。どうしても」
重い枷杭を垂らしたようにゆっくりと近付いてくる大きな手を見詰めていたら、その手が急に
ダラリと落下した。
諦めたように目を伏せるヨザックがとてもとても遠くに感じて、目の前で色んな形の光が
一斉に点滅する。
チカチカと、煩い。
目が、痛いよ。
「うっ・・・・・・・」
顔全体が火照って、目が開けていられなくなって、壊れた蛇口から延々と漏れ出す味気
ない水の如く、涙腺は熱いものを産生し続ける。
結んでいるつもりの唇が震え、ただ言葉にならない音だけがだらしなくも溢れ出て。
「猊下!?え、えぇ!?どうしたんですかっ!」
「う、あああっ・・・・・く、・・・・っく、っ」
「な、泣かないでぇっ!ちょっと!グリ江皆に殺されちゃうっ!」
・・・こんな時までおネエ言葉。いや、こんな時だからおネエ言葉なのか。
おろおろと慌てるヨザックを前にしながら、流れる涙を頬に感じながら、僕は酷く冷静だった。
そんな何年も前からの長い付き合いというわけではないが、それでも、ヨザックの事は大体
分かっているつもりで。
他の誰よりも、深く、広く。
けれど、違ったんだ。彼の出生についても、その半生についても。
その中で彼が何を見て、何を思い、何を感じて生きてきたのか、何も知らないのだ。
届かないのは、寧ろ僕の方。
君がいつまでもそうやって、僕との間に妙な線を引くから。
あまりにも自分を卑下したり、僕を必要以上に敬ったりするから。
たった一本の細い線をいつまでも超えられずにいるから。
「ば、かぁ・・・・・っ、近くに、居るだろっ・・・ちゃんと、僕を見ろっ、て・・・・・」
「猊下・・・・・・いや、オレ、ちゃんとあなたの事見てま・・・」
「見てないよっ!」
困った顔をするヨザックを見て、また嫌悪。自分に対する非難の嵐。
でも、伝えなければいけない気がする。
「全っ然分かってないんだからっ!何で?どうして僕がそんな簡単に君に幻滅するの?
生まれた日を知らないからって?そんなどうでもいい理由で僕が君を馬鹿にするとでも
思ったの!?」
「・・・・・・随分お怒りですね」
「当たり前じゃないか!」
「すいません」
「・・・っ、黙れっ!」
欲しくもない謝罪の言葉を零されて、それが更に僕を追い詰めて。
言いたい事が言えなくて。
そんな我が身が歯痒い。
どうにも出来なくてただただ嗚咽を漏らして俯いていると、顎に手をかけられ上を向かされた。
触れて欲しかった、けれどさっきは触れてくれなかった大きなヨザックの手。
長い指が顎の線に沿って流れゆきこめかみまで到達すると、そのまま手の平全体が頬を
包む。
「・・・オレはどうすればいいですか?どうすれば、許してもらえますか?」
「そんなのっ・・・自分で考えてよ!馬鹿!」
「げ〜か〜ぁ。無理言わんで下さいよーオレは超能力者じゃないんですよ?ヒントも何も
ないんじゃ分かりませんて」
「・・・その勘の悪さでよく諜報員が務まるね」
「勘の悪さはあなた限定です。色々と狂わされて参ってるのはこっちなんですよ?」
・・・怖いんですよ。あなたに嫌われるのが、怖い。
ポツリと言ったヨザックの顔は酷く真剣で、哀しげで、苦しそうで。
ああ、僕と何一つ変わらない。寸分も変わらない。
好きになればなるほど、相手の事を知りたくなって。
好きになればなるほど、不安が募るのは何故なんだろう。
「・・・じゃあ、全部教えて」
「全部、ですか?」
「いいから全部。君の事、何でもいいからとにかく全部」
「は、ぁ・・・構いませんけど・・・大した話は出来ませんよ?」
「それでもいい。知りたいんだ、君の事」
「・・・・・・じゃあ、オレにも猊下の事教えて下さい」
頬を撫でていた手がすすっと移動し、長い指が眼鏡を外す。
一瞬のうちにボヤける視界に目を細めると、親指で残る涙を拭われた。
「いいよ、幾らでも」
僕らにはまだまだ埋めるべきものが在りすぎるから。
だから、もっとたくさん話そう。
たくさん触れよう。
飽きるまで・・・そんな日は来ない保証100%だけど、それでも、「飽きるまで」語り尽くそう、
触れ合おう?
ヨザックは嬉しそうにニコリ、と深く微笑み、再び僕の頬を撫でた。
そしてゆっくりと近付いてくる彼の唇を人差し指で制すと、不思議そうな顔で覗き込まれる。
「忘れてた」
「・・・・・・?」
「誕生日が分からないっていうなら、祝ってあげる。毎日毎日、『生まれてきてくれて
ありがとう』って言ってあげる」
「猊下・・・っ」
「『おめでとう』って一緒に喜んであげる」
それ位何でもない事だよ。
君が今此処に居てくれて、此処で息をしてくれて、自らの足で立ち、生きていてくれる事が
嬉しいから。
「猊下・・・今、オレすっごい幸せ・・・ちょっとヤバい、です」
「泣いてもいいよ?」
「馬鹿な事おっしゃらないで下さい。そんな情けない事出来ますかっ」
「・・・僕さっき泣いちゃったけど」
「・・・・・・じゃあ、ほんのちょっとだけ、肩借ります。本当に、一瞬だけ」
そしてすぐさま肩に降りかかる重みが愛しくて、体が温かくなっていく。
これ以上君の事を知ったら、ますます離れられなくなるんだろうな。
そんな事を考えながら、柔らかな橙色の髪をただ梳き続けて。
最適な距離、関係を続けるにあたって最低限の距離というものが人間関係においては
存在するのだけれど、それすら飛び越えてしまいたくなるんだよ。
どこまでも奥まで入っていきたくなるんだよ。この身が砕けようが、どうなろうが。
確かなものを得たいんだ。
「猊下、愛してます」
肩口から聞こえてくるくぐもった声に、甘い媚薬を飲まされたように体は火照る。
ヨザックを怒鳴りつけて、タックルかました自分自身なんかとうに忘れ去っている僕は何て
調子が良いのだろうか。
それでも。きっと、それはね?
僕も君に色々狂わされているって事。
それ位、君が好きだって事。
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日頃からメールにてお世話になっております藤夜さまからいただいてしまいました!!
一周年記念にと・・・・・!う、嬉しい、嬉しすぎです!!
しかも、私の記念小説と押し付け小説とリンクしてくださったお話なんですよ!
ああ、もう素敵過ぎです・・・!猊下もヨザもすごく可愛らしいお話で、もうほんとにおなかいっぱいでした。
藤夜さま、ありがとうございました!!