普通に誰かと話したり
普通に誰かと笑ったり
そんな当たり前なこと、俺はもう忘れていた
紅の世界
ちゃりんと鎖の金属の音が、広い静かな部屋の中に響く。音といえば、その鎖の音と
・・・・そうだな、俺が着ている一枚の絹が擦れ合う音くらい。
俺は滅多に動くこともしなかったし、衣擦れの音はたまにしかしないんだけど。
俺はむくリと起き上がる。光一つないこの部屋だけど、長い間ここにいる俺は、何が
どこにあるかなんとなく分かる。目もすっかり暗闇に慣れてしまっている。
今ではきっと、外の光は眩しすぎるだろう。
「ん・・・・・」
俺はごしごしと目を擦ると、部屋のはしにあるベッドに上がった。安物のベッドは、
ぎしりと音を立てる。ずっと床でごろごろしていた俺は、ベッドが軋む音を久々に聞いた。
がたん
・・・・・・・あ、今日は久々に聞く音が多いや。俺はベッドの上で軽く身じろいだ。
「起きてるか」
「・・・・・・おはよぉ、黒りん」
「・・・・・その呼び方すんなって言ってんだろ」
「いいじゃない、その方が可愛いし」
えへへ、と笑って見せると、黒りんは諦めたようなため息をついた。
俺が黒りんと呼ぶ彼は、不定期に俺の前に現れる。前に姿を見せたのは一ヶ月前だ。
長いような・・・・短いような時間。
「今日はどうしたの?」
俺はベッドに膝をついて、四つん這いの格好で黒りんに近寄る。そして彼が着ている着物の
袖をぎゅっと握り、にこ、と笑ってやった。
「俺を、殺しに来てくれた?」
黒りんは俺をじろりと睨む。射抜かれるようなまっすぐな強い視線。
俺はそれを嫌う時もあったし、好む時もあった。
今日は・・・好きかな。気持ちが少し軽い感じだから。
後ろ向きな気持ちの時とか、嫌なことばっかり考える時は、やっぱり嫌い。
馬鹿なこと考えてんなって、眼が言ってる気がする。
「言っただろう。俺はお前を殺さねえ」
「聞いたけど・・・・でもこうして俺のこと閉じ込めてるでしょ?一体いつまで続け
るつもり?暗い所は好きだけど、退屈なんだ、ここ」
「・・・・・・・・・」
「それにね、俺決めてるから。死ぬんなら、君に殺されて死にたい」
俺は彼に手を伸ばす。触れた頬は、熱かった。・・・・ううん、俺の手が冷たいのかな。
「他の人は、ダメ」
「・・・・・・・・・」
「他の人が、俺を殺すなら・・・・・・・俺はその人を殺す。他の人に殺されるのだけは、絶対ヤダ」
「・・・・・・・」
「俺は、君がいい。君しかいらない」
「・・・・・・俺は、てめえのそういう所が嫌いだ」
「うん、気が合うね。俺も自分のことが大嫌いだよ」
とんと体を軽く押すと、黒りんの体が倒れる。勿論彼は俺に押されたくらいで倒れる
やわな体はしてない。
ただ、彼は知ってるから。この後何があるのかを。
「黒りん、1ヶ月も俺を放っておいたでしょ?俺、お腹すいちゃった」
「・・・・・・・」
「君を、ちょうだい」
ゆっくりと顔を近づける。俺は彼の頬にキスを落とした。唇のキスは、嫌い。
あそこは俺には熱すぎる。
「俺がほしいのか?」
「・・・・・ほしい。ほしくてたまらない。早くちょうだい」
体を摺り寄せると、黒りんは俺の体を引っ張って、ぼすんとベッドに押し付けた。
「ずっと君がほしかったのに、君が来てくれなかったから」
「・・・・・・・・」
俺は黒りんを見上げる。そして笑って手を伸ばした。黒りんはそんな俺の手を取って、
鎖越しに俺の手首に口付けた。
こういうキスが好き。君の唇のぬくもりが、直接触れてこない。
「・・・・・・・不思議な人」
「あ?」
「なんでもない」
俺は黒りんの首に手を回してぎゅっと抱きついた。すると、黒りんも俺の体を抱きしめてくれた。
・・・・珍しい。って言うか、初めて?俺は彼に抱きしめられた気がする。
「黒・・・・・」
「ほしいと思うのは、お前だけじゃねえんだ」
「え・・・・・・んっ」
黒りんがシャツの下に手を入れて、俺の肌に触れる。
大きな一枚の白いシャツ。これをくれたのは黒りんだ。
最初は彼の温もりがして熱くって、彼の匂いが体を覆っているような気がして息苦しかった。
・・・ううん、切なかった。でも、今は違う。彼の温もりは消えちゃってるし、匂いもしない。
それに気づいた時、俺は最初に感じた気持ちとはまた違う意味で、切なくって、目頭が熱くなった。
「どうした」
「・・・・・・・なんでも、ない」
気づかれて、たまるもんか
君の温もりが、君のこめる力が、声が
周りをまとう、空気でさえも
こんなにも愛しく思えるなんて
今から十年前、君にとらわれて
俺は、人の生き血を吸い、君は俺を滅する存在だった
それなのに、君は俺を殺さずに
まるで、自分だけのものだというかのように、この地下牢に閉じ込めた
「つっ・・・・」
かりっと黒りんの首に噛み付く。俺の尖った歯のせいで傷が二つ、ポツリと出来て、
そこから血が流れ落ちた。
「・・・・・何年たっても、吸うのが下手だな、お前」
「だって、今は滅多に使わないから。俺、ここ十年、君以外の人間の血、吸ってないんだもん」
「当たり前だ。そのためにお前をここに閉じ込めてるんだから」
「馬鹿みたい。さっさと殺せばいいのに。殺したら、こんな痛い思いしなくてすむのに」
ほんとに、君の気持ちが分からないよ。
俺は新しく出来た傷に、ちょいと指を這わせた。
すると、黒りんがため息をつく声が聞こえた。顔を上げると呆れたような顔をしていた。
何なの?俺、なんか変なこと言った?
俺が首をかしげると、黒りんがいきなり俺のほっぺたをグイッと横に引っ張った。
「ふにゃ!?」
「馬鹿はお前だろ」
「い、痛い痛い!黒りん、痛いよ!」
「お前が馬鹿でアホだからだろ」
「な、なにそれ、わけわかんないよ。俺、変なこと言ったの?」
ほっぺたをすりすりと手で擦る。
あー痛かった。決して本気で力を込めちゃいないんだろうけど、きっと今、赤くなっちゃってるよ。
「思い切り言っただろ」
「なんて?殺せばいいのにってやつ?だってホントのことじゃない」
「だからお前は馬鹿だって言うんだよ」
軽くため息をつかれて、またほっぺたをつねられた。今度は片方だけ。
「・・・・・・いちゃい(痛い)」
「俺はお前を殺さない」
「・・・・・・・・にゃんで?」
うぅ、引っ張られてるからうまく言葉が出ない。カッコ悪いからそろそろ離してよ、黒りん。
そう思ってると、黒りんはまた呆れたようにため息をついたんだ。
「殺したら、お前がいなくなるからだ」
「・・・・・・・は?」
黒りんはぱっと手を離す。まだ名残が残っていてひりひりするけど、俺には今、
黒りんが言った言葉の方が気になった。
「何で殺さないかなんて、答えは簡単だ。一つしかねえ。お前を殺したら、お前がいなく
なるから。俺の前からいなくなるから。お前が喋るのを聞くのも、お前の笑顔を見ること
も出来なくなるから」
「・・・・・・・」
「俺はお前を殺さない。単純な理由一つじゃ物足りねえか?」
・・・・・・・・・まさか。それどころか、信じられない気持ちでいっぱいだ。
人の言葉で驚いて、自分の言葉が出てこなくなるなんて、初めての経験だよ。
俺の声が聞けなくなるから
俺の笑顔が見れなくなるから
俺がここから、いなくなっちゃうから
だから殺せないって?
・・・・・・馬鹿じゃないの
「・・・・・・・・なんか、脱力した」
「吸わねえのか、血」
「なんかそんな気分じゃない・・・・・・」
「そうか。まあ無理にとは言わねえよ」
黒りんは俺のシャツをきちんと整えると、今度は自分のシャツも調えた。俺が引っ張って取れて
しまったボタンを拾うと、軽くぽんと宙に放る。
「また来る」
一言、ただそう言うと、黒りんは部屋から出て行った。
そうすると、また静かな部屋に逆戻り。
何の音も聞こえない。
・・・・・・・なのに。
今は、うるさくてたまらない。
さっきの黒りんの言葉が何度も何度も頭の中に蘇って
そのせいで、俺の心臓はさっきからバクバク言ってるんだ
俺はぼふんと枕に顔を埋めると、じゃらリと手首の鎖の音を立てた。
「・・・・・・・・うるさい」
顔も、耳も、体中熱い
体中が、うるさい
次に彼が来る時までに、収まってくれているのかな
出来なさそうな気持ちを抱いて、俺はゆっくりと目を閉じた。
勿論、何もかもがうるさくて、その日は一睡も出来なかったのだけど。
FIN
ファイ→吸血鬼
黒 鋼→吸血鬼を狩るハンター(みたいなもの)
つまり宿敵である吸血鬼のファイを、黒鋼がかくまうみたいな話です。