忘れると決めたんだ
なのになんでこんなに、胸が痛むんだ
Desire like breaking 5
僕とユーリの婚約が解消されて、数日がすぎた。国民に触れも出されて、公式に婚約が
解消されたんだと思ったら、胸が痛んだ。
だからその思いを打ち消すように、僕は仕事に取り組んだ。
でも、仕事に私情を入れたらいけないって分かってるけど、僕はユーリをずっと避けて
しまっていた。
そんなある日、廊下で一枚の書類を拾った。それはよく見ると、ユーリの書類の一部だった。
兄上のものならこんなに簡単なわけはない。書類を運んでるのはギュンターだから、運ぶ
途中で落としたのだろう。あいつにしては珍しいミスだ。
・・・・・・・あまり持って行きたくはなかった。しかし、そんな我侭を通すなんて、僕のプラ
イドが許さなかった。
僕はその一枚を持って、ユーリの執務室へと行く。いつもならノックもなしに入るけど、
僕はそこで二度ほど扉を叩いた。
「はい、どーぞー」
威厳のカケラもない声が、中から聞こえてきた。僕はごくん、と息を呑んでドアノブに手を
かけた。
「・・・・・・・失礼します」
断りを入れてドアを開ける。まず目に入るのは、大量の書類に囲まれたユーリだった。
驚いたように目を見開いている。
・・・・・当然か。僕はずっとユーリを避けて、話を全くしていなかったのだから。
「書類が一枚廊下に落ちていました。陛下の書類ですね?」
「あ・・・・・・ああ。ありがとう。ちょうど探してたんだ」
僕は中に入って、ユーリの机の上にその書類を置いた。
「失礼いたしました」
礼をして、僕は部屋を出ようとした。だけど、ユーリがちょっと、と呼び止めたので、僕は
足を止めた。
「何で敬語使うんだ?」
「・・・・・・・魔王陛下に敬語を使うのは、当然のことですが」
「今まで使わなかったのに?」
「・・・・そうですね」
僕は小さく呟くと、片膝をすっと床についた。
「今までのご無礼、どうぞお許しください。婚約者といえど、浅はかな行為でした」
「・・・・・・・・・ヴォルフ」
「これからはご無礼のなきよう、誠心誠意陛下の臣下として、勤めさせていただきます。
これからも・・・・変わらぬ生涯の忠誠を貴方に」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・失礼いたします」
僕は静かに部屋を出た。すると、頬を何かが伝って、床にぽたりと落ちる。
指でなぞって、それが涙だということに気づいた。僕はそれをグイッと拭うと、そのまま
執務室を後にした。
■ □
びっくりした。急にヴォルフが入ってきたと思うと、いつもとは全然違う口調で俺に
話してきた。
今まで聞いたこともないような・・・・丁寧な言葉遣い。
だけど、それが普通なんだ。魔王と臣下なんだから。
だけど俺は、今までのヴォルフの話し方が好きだった。俺をへなちょこって言う、あいつの
言葉が好きだった。
へなちょこって言うなって俺が言うと、あいつはクスクスと笑うんだ。そんな笑顔も好き
だった。
だけど、それはもう聞けない。
分かっている。婚約者という立場を彼から奪ったのは、他の誰でもない、この俺なんだから。
・・・・・・・解消を告げた次の日、眞魔国に婚約解消の触れが回った。
その直後、俺やヴォルフラムへの見合いの申し込みが絶えない。
だけど、そんなものに興味はなかった。おれがその時気になっていたのは、たった一つだった。
ヴォルフラムの首筋についた赤い痕。
俺はあの位置につけた覚えはなかった。思い当たる人物は一人しかいなかった。
もうヴォルフラムは、彼のものになってしまったのだろうか。
そう思うと、体が熱くなって、胸が苦しくなって、止まらなかった。
俺はそこらにあったペンを握り締める。強く強く握り締めたそのペンは、バキッと音を立てて
壊れ、その壊れた破片は砂くずへと変わった。
知らない間に魔力を使ってしまったみたいだ。俺は、机を強く叩いて、唇を噛み締めた。
唇から流れ落ちた血を、俺は気にすることはなかった。
俺は窓からひょいっと執務室を抜け出す。痕でギュンターが騒ぎそうだけど、今はちょっと
外の風に当たりたかった。
体が熱くてしょうがないんだ。冷たい風で少し冷やさないと。
俺は適当に庭を歩く。そして座れそうな階段を見つけて、そこに腰を下ろした。
「はあ・・・・・」
「あら、陛下?」
ん?誰だろう。声をかけられて、俺は顔を上げた。
「ギーゼラ・・・」
「そんな所でどうされたんですか?お仕事は?」
「ん〜・・・・ちょっと休憩。自主的に」
「まあ。父に見つかったら大変ですよ」
「あはは、覚悟はしてる。ギーゼラは仕事中?」
「ええ、まあ。といっても、今は急ぐ患者もいませんので、楽なものですが」
「だったらさ、ちょっと付き合ってよ」
「え?」
「ここ、座ってるだけでもいいからさ」
俺は自分の隣を指差す。ギーゼラはきょとんとした顔を一瞬したけれど、すぐににっこりと
微笑んだ。
「魔王陛下のお隣に座れるなんて、光栄ですわ。よろしいんですか?」
「勿論。そんなに畏まらなくてもいいよ、ギーゼラ」
俺が笑うと、ギーゼラも微笑み、俺の隣に座った。そして眩しそうに目を細めて空を見上げる。
「いいお天気・・・・・風も気持ちがいいですね」
「だな。こんな日には仕事、したくなくなるんだよなぁ」
「あら。陛下はいつもではございませんか?」
「う・・・・ホント、アニシナさんに似てきたよ、ギーゼラ」
きっぱりさっぱり言うところ。ギーゼラは可笑しそうにクスクスと笑う。俺もその笑顔に
つられて、思わず笑ってしまった。
「よかった。陛下が笑っていらっしゃって」
「え?」
「心配していたんです。このところ、陛下はお見かけするたびに辛そうな顔をなさって
いましたから」
「あ・・・・・」
「具合が悪いのなら、と声をかけることも出来ましたが・・・・陛下の場合は精神的なこと
でしょう?私の治療では追いつきませんものね」
「・・・・・・・・ごめん」
「謝らないでください。それより、何か話が出来るのなら話して下さい。話せば楽になる
ことだって、あるでしょうから」
「・・・・・・・・・・」
「勿論、話して辛くなることでしたら話さなくても構いません。でも少しでも楽な気持ちに
なれるのであれば、私でよければ話を聞きます」
「・・・・・・・ありがとう、ギーゼラ」
心優しいギーゼラの言葉は、俺の胸に響いた。
だけど、こんなに優しい言葉をかけられているのに・・・・・俺の体の熱は消えない。
「ごめんな・・・・・・」
「・・・・・・陛下・・・・・・・・?」
「ダメなんだ・・・・・・・どうしてもダメなんだ。やっぱり、ギーゼラでもダメなんだ」
「・・・・・・・・・」
「気を悪くしたのならごめん。だけど、ダメなんだ。俺の・・・・・・体の熱が引かない」
俺は俯いて、膝に顔を埋め、ぎゅっと体を抱きしめる。
震える体を何とか抑えようと、俺は手に力を込めた。
だけど、震えは収まらないし、熱だって引かない。
「この体を冷やしてくれる奴がいないんだ・・・・・・・・俺が、手放した」
「それは・・・・・・」
「大事だったから。すごく大事だったから。だから、手放したんだ。だけど、ダメだ。
手放したとたん、俺はこうなった」
ああ、かっこ悪ぃ。女の子にこんな風に愚痴るなんて。
だけど、口が動いてしまう。止まらない。
すると、そんな馬鹿みたいな俺を、ギーゼラが優しく頭を抱きしめてくれた。
「ギー・・・・」
「ご無礼なことなのかもしれませんが、今、こうしたいと・・・・いえ、こうしたらいいと思いました」
「ギーゼラ・・・・・」
「一人で辛い顔をなさらないでください。この城には、陛下を思う者がたくさんいます。その者
達に頼らず、一人で考え込まないでください。熱を溜めないでください」
「・・・・・・・・」
「少なくとも私は、陛下の熱をひかせたいと思うものです。勿論私じゃ役不足なのは分かって
おりますし、今後役目が果たせるとも思っておりません。ですが、私は医者ですから」
ギーゼラがそっと俺の頭を撫でる。
「治癒が出来ないのなら、祈ります。医者として、陛下を想う者として祈りましょう。陛下の
熱を下げてくれる者が現れますように。その者が、陛下を一番に想ってくれますように」
そっと指を絡めて、ギーゼラは瞳を閉じた。
「いつも、側にいてくれますように」
俺にはその姿が、まるでマリア様のように見えた。魔王にマリアって言うのは分不相応だけど、
そう見えたんだ。
俺はふっと笑って、絡め合わせているギーゼラの手に自分の手を覆い被せた。
「ありがとう、ギーゼラ」
「陛下・・・・・・・」
「なんだか少し、熱が引いた」
俺は笑った。ギーゼラも俺に笑いかけてくれた。
ホント、最高の医者だよ。体の治療も、心の治療も。
ギーゼラって、ホントに最高。
最高の、お医者様。
